松平 長孝(まつだいら ながたか)は、江戸時代中期の大名。美作津山藩4代藩主。官位は従四位下・越後守、侍従。
生涯
享保10年(1725年)7月30日、出雲広瀬藩3代藩主・松平近朝の三男として誕生。
始め広瀬藩本家の出雲松江藩主・松平宣維の養子であったが、一族である津山藩3代藩主・松平長煕が嗣子無くして享保20年(1735年)に早世したため、急遽その養子となって家督を継いだ。長じてのち、藩政においては庄屋制度を廃止して地方目付を配置するなど、それなりの政治力を見せたが、成果を見る前に宝暦12年(1762年)閏4月29日に死去した。享年38。跡を長男・康哉が継いだ。
改易となった本多忠央の預かり先となっている。
系譜
- 父:松平近朝(1681-1728)
- 母:槙島氏
- 養父:松平宣維(1698-1731)、松平長煕(1720-1735)
- 正室:岸 - 藤堂高治娘
- 長男:松平康哉(1752-1794)
- 三男:松平直義(1754-1803) - 松平近貞養子
- 側室:飯田氏
- 長女:直姫:松平信有正室のち大田原庸清正室
- 次男:長賢
- 四男:松平長裕
- 五男:金田正彜
- 側室:夏目氏、羽倉氏、小宮山氏、天野氏、重松氏




