宮原 秀明(みやはら ひであき、1942年9月3日 - 1994年3月21日)は、千葉県出身の元プロ野球選手、スカウト。ポジションは外野手。1961年から1968年の登録名は宮原 務本(みやはら つもと)。

来歴・人物

長生一高では、1960年の第11回春季関東地区高等学校野球大会に千葉県代表として出場し、チームを初優勝に導く活躍を見せる。同年夏の甲子園県予選では準決勝に進出するが、関根知雄のいた銚子商に敗退。

1961年に東映フライヤーズへ入団。当時の東映の外野手には張本勲、毒島章一、白仁天といった実力者が揃っており、長打力に欠ける宮原には厳しい環境だった。その中でも四番手の外野手や代打の切り札として起用され、1964年から5年間、準レギュラーとして好成績を残す。1968年には、当時の大下弘監督に打撃を評価され67試合に先発出場。主にクリーンアップ、右翼手として重用され、四番打者としても1試合に出場した。しかし1969年には打撃低迷によって出場機会が減り、1970年にヤクルトアトムズへ移籍する。ここでも代打や控え外野手として実績をあげるが、1971年途中に近鉄バファローズへ、1973年には大洋ホエールズへと移籍が続く。大洋では打撃成績も振るわず、この年限りで引退した。

引退後は太平洋クラブ~西武ライオンズのスカウトを務めていたが、在職中の1994年3月21日、脳内出血のため死去。51歳没。

詳細情報

年度別打撃成績

記録

  • 初出場・初打席:1961年4月21日、対毎日大映オリオンズ2回戦(後楽園球場)、7回表に高木公男の代打として出場、若生智男の前に凡退
  • 初安打:1961年7月1日、対近鉄バファロー10回戦(日本生命球場)、7回表に橋詰文男の代打として出場、グレン・ミケンズから単打
  • 初先発出場:1961年7月2日、対近鉄バファロー11回戦(日本生命球場)、6番・右翼で先発出場
  • 初本塁打:1962年8月1日、対南海ホークス15回戦(大阪球場)、8回表に安藤元博の代打として出場、森中千香良からソロ

背番号

  • 57 (1961年)
  • 25 (1962年 - 1969年、1971年 - 同年途中)
  • 36 (1970年)
  • 22 (1971年途中 - 1972年)
  • 4 (1973年)

登録名

  • 宮原 務本 (みやはら つもと、1961年 - 1968年)
  • 宮原 秀明 (みやはら ひであき、1969年 - 1973年)

関連項目

  • 千葉県出身の人物一覧
  • 北海道日本ハムファイターズの選手一覧
  • 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
  • 大阪近鉄バファローズの選手一覧
  • 横浜DeNAベイスターズの選手一覧

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