竹村 喜一(あるいは竹村 喜市、たけむら きいち、1884年(明治17年)9月12日 - 1945年(昭和20年))は、日本の土木建築請負業者。竹村工務店(現竹村コーポレーション)社長。

経歴

長野県上伊那郡中沢村(現駒ヶ根市)に生まれる。竹村彦重の三男。普通教育を卒えて父業の農業に従事したが、1902年に吉原組に入り、北海道の鉄道敷設工事に携わる。後に同組を辞して勝呂組に入り、各所の大小工事に従事する。

1906年、土木工事業の竹村組を構え、東京四谷区若葉(現新宿区若葉)で創業。鹿島組(現鹿島建設)函樽鉄道工事に従事。また労力請負業を営み、1912年、勝呂組下請けとして目黒海軍大薬庫への人夫を供給。

1917年、馬場先門明治生命の浄化槽装置を完成させた。汚水、下水道処理工事の先駆けであった。1945年に死去、甥の今福治俊が社長に就任した。

人物

住所は四谷、谷、南伊賀。

脚注

参考文献

  • 交詢社編『日本紳士録 第29版』交詢社、1925年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第35版』交詢社、1931年。
  • 帝都興信所編『土木建築業並関係業者信用録 昭和11年度版』帝都興信所、1936年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第41版』交詢社、1937年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第44版』交詢社、1940年。

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17.6/30.「竹村健一」 映画, 顔, テレビ番組